懲戒・退職勧奨の公表が組織を強くする理由

人事というお仕事をしていると、どうしても孤独な決断を迫られる瞬間があります。 その最たるものが、社員に対して「退場」を宣告する時、そしてその事実を、残る社員たちへ「どう伝えるか」を決める時ではないでしょうか。

 

「重大な就業規則違反があったため、懲戒解雇とした」

「改善が見込めないため、退職勧奨を行い、合意退職に至った」

 

こうした事案が起きたとき、多くの企業では「ご本人の将来もあるし、穏便に済ませたい」「下手に公表して訴えられるのは怖い」といった心理が働きがちです。その結果、本当の理由を伏せて、あたかも何事もなかったかのように処理してしまうケースも少なくありません。

特に、話し合いによる合意退職(退職勧奨)の場合、「一身上の都合」というオブラートに包んで、事実を曖昧にすることが「大人のマナー」とされる風潮もあります。

ですが、私はここで一度、立ち止まって皆さんと一緒に考えてみたいのです。

 

「本当にそれで、組織は守れるのでしょうか?」

 

たとえ形式が「退職勧奨」であったとしても、そこに重大な規律違反が存在したのであれば、会社は毅然としてその「事象」を社内に周知すべきではないか――。私はそう考えています。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。もちろん、特定の個人を攻撃し続けることはあってはなりません。しかし、組織という一つの社会において発生した「罪(規律違反)」を曖昧にし、隠してしまうことは、真面目に働く社員への不誠実さにも繋がりかねません。

今回は、人事担当者の方が不安に思われがちな「法的リスク」の本当のところを解きほぐしつつ、なぜ組織は沈黙してはならないのか、その理由と実務的な運用について、じっくりとお話ししていきたいと思います。

 

 

第1章 経営視点で捉える「名誉毀損」の真実

 

~法律は、正当な公表であれば会社を守ってくれます~

懲戒処分や不祥事の社内公表をためらう一番の理由は、「公表したら名誉毀損で訴えられるのではないか」という不安ではないでしょうか。

確かに、刑法230条(名誉毀損罪)を見ると、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者」は罰せられるとあります。これだけ見ると、たとえ本当のこと(真実)であっても、相手の評判を下げるようなことを言えばアウトになってしまうように感じられます。

ですが、企業活動において、この条文だけを切り取って過剰に恐れる必要はありません。法律は、正当な目的を持って行われる言論活動まで封じ込めようとはしていないからです。 実は、同じ刑法の中に「特例(違法性阻却事由)」というルールがあり、以下の「3つの条件」をすべて満たしている場合、その行為は罰せられない(違法性がない)と判断される傾向にあります。

この3つの条件は、人事が公表に踏み切る際の「お守り」のようなものです。ぜひ押さえておいてください。

 

1. 「事実の公共性」があるか

 

(それは、組織全体に関わる問題ですか?)

一つ目の条件は、その事実が「公共の利害」に関わるものであることです。 会社における「公共」とは、「企業秩序」や「組織の健全な運営」のことですよね。例えば、横領や情報漏洩、深刻なハラスメント行為などは、放置すれば会社全体に損害を与えますし、他の社員の働く環境も悪化させてしまいます。 こういった事案は、単なる個人のプライベートなトラブル(業務に関係のない不倫など)とは違い、社内の皆で共有すべき「公共的な事実」であると考えられます。

 

2. 「目的の公益性」があるか

 

(報復ではなく、組織を守るためですか?)

二つ目の条件は、公表する目的が「専ら公益を図ること」にあるかどうかです。 少し難しく聞こえますが、要するに「あいつを晒し者にしてやろう」といった個人的な感情ではなく、「同じことを二度と起こさせない(再発防止)」「職場のルールを明確にする」という目的かどうか、ということです。 私たち人事が、「このような行為は許されません」と周知するのは、組織を引き締めるための立派な公益目的と言えますよね。

 

3. 「真実性の証明」ができるか

 

(確かな証拠がありますか?)

三つ目は、公表する内容が真実であるという証拠があることです。 「どうやらあの人がやったらしい」という噂レベルでの公表は大変危険です。きちんと調査を行い、事実関係が確定した段階で初めて公表が可能になります。

つまり、「組織を守るため(公益)」に、「本当のこと(真実)」を、「必要な範囲(公共)」で伝えることは、企業として正当な権利であると言えるのです。リスクを恐れて沈黙するよりも、ルール違反には毅然と対応する姿勢を見せることの方が、長期的な「組織の健康」にはプラスになるのではないでしょうか。

 

 

第2章 「退職勧奨」という難しいケースでの判断

 

さて、実務の現場で一番悩ましいのが、「退職勧奨」の扱いではないでしょうか。 懲戒解雇にするには証拠が少し足りなかったり、あるいは解雇に伴うトラブルを避けるために、会社と社員が話し合って合意退職する、というケースです。

この場合、形式上は「合意による退職」となるため、退職理由を「一身上の都合」として処理する会社が非常に多いかと思います。 ですが、もしその退職勧奨のきっかけが、横領やハラスメントといった規律違反であった場合、それを「一身上の都合」とだけアナウンスすることには、少し違和感を覚えませんか?

 

「一身上の都合」という表現の落とし穴

 

「一身上の都合」という言葉は、本来、転職や家庭の事情など、ご本人が自分の意思で辞める場合に使われる言葉です。 会社から「辞めてほしい」と促され、事実上のレッドカードを出されて退場する場合にこの言葉を使うと、残された社員に対して誤ったメッセージを送ってしまう恐れがあります。

 

「あんなに悪いことをしたのに、会社は隠してくれるんだ」

「結局、やったもん勝ちで、お咎めなしなのか」

 

こうした誤解が広まると、真面目にルールを守っている社員のモチベーションが下がってしまいますし、「バレても大したことにはならない」という緩んだ空気が組織に生まれてしまうかもしれません。

 

会社都合には、ふさわしい表現を

 

会社都合(または会社主導の合意)による退職には、やはり実態に即した表現を用いるべきではないでしょうか。

もちろん、退職合意書などで「口外禁止条項」を結んでいることも多いですし、実名を挙げて「彼は不正をしたので辞めさせました」と公表するのは、契約違反になるリスクがあります。

ですが、ここで思考停止して「沈黙」を選ぶ必要はありません。 「個人との約束」と「組織への責任」は、分けて考えることができるからです。

個人のプライバシーには配慮しつつも、「社内でどのような規律違反があり、会社としてそれをどう重く受け止め、処置したか」という「事象」そのものについては、しっかりと社内に周知すべきです。それが、同じ過ちを繰り返させないための「牽制(けんせい)」になり、組織の公共の利益にかなうからです。

 

 

第3章 スタートアップ・小規模組織の「特定されちゃう問題」

 

ここで、従業員数が数十名から百名程度のスタートアップや、中小規模の組織ならではの悩みにも触れておきたいと思います。 それは、「匿名にしても、誰のことかすぐに分かってしまう(特定されてしまう)」という問題です。

大企業であれば「営業部門の社員A」とすれば分かりませんが、小規模な組織で「先月末で退職した営業部の社員」といえば、「ああ、あの人のことね」と全員がすぐに分かってしまいますよね。

この状況で、「特定されると名誉毀損になるから公表できない」と悩まれる人事の方も多いのですが、私は「特定されるとしても、やはり公表すべき意味がある」と考えています。

 

噂話で終わらせず、公式の教訓へ

 

小さな組織では、会社が何も言わなくても、「あの人が急に辞めたのは、何かトラブルがあったらしい」という噂は、あっという間に広まります。 むしろ、会社が何も言わないと、事実とは異なる尾ひれがついた怪情報が出回ってしまうこともあります。

それならば、会社が毅然として(たとえ個人名は伏せたとしても)、「どのような違反があり、それがいかに当社の価値観に反するか」を公表することで、ふわふわした「噂」を、組織としての「教訓」に変えるほうが健全ではないでしょうか。

「ああ、あの件はこういう理由だったのか。会社はこういうことを許さないんだな」 そう社員が納得できれば、それは特定個人の名誉を守ること以上に、組織全体の規律を守るという大きな意味を持つはずです。

もちろん、配慮は必要です。焦点は常に「誰がやったか(Who)」ではなく、「何が行われたか(What)」に当てるようにします。そうすることで、個人攻撃のような印象を和らげつつ、会社の強い意志を示すことができるはずです。

 

 

第4章 実務での進め方:リスクを抑えて効果を出すには?

 

では、実際にどのように周知を進めればよいのでしょうか。 ポイントは、「事実を淡々と伝えつつ、メッセージは明確にする」ことです。感情的にならず、かつ必要な情報は隠さない、そのバランス感覚が大切です。

 

1. 公表のタイミングと媒体

 

基本的には、社内掲示板やイントラネット、あるいは全体朝礼などが考えられます。 ただ、ずっと掲示し続けると「晒し者」という印象が強くなるので、「掲載期間を1週間に限定する」といった配慮をするのも一つの手です。また、小規模組織であれば、あえて退職直後ではなく、少し時期をずらして「四半期のコンプライアンス報告」の中で触れることで、個人特定の色合いを薄めるテクニックもあります。

 

2. 退職勧奨の場合の「分離公表」

 

退職勧奨(合意退職)のケースでは、「人の退職」と「事案の注意喚起」を分けて発信するのが、最も安全かつ効果的でおすすめです。

 

【ステップA:退職の事実はドライに】

まず、退職の事実自体は淡々と伝えます。

 

「◯月◯日付で、〇〇氏は退職いたしました。在職中の貢献に感謝します。」

 

ここでは理由は詳しく触れません。「一身上の都合」とも書かず、ただ「退職した」という事実のみを伝えます。

 

【ステップB:牽制(警告)は別枠で】

そして、これとは別のタイミング(または別の文脈)で、事案についての注意喚起を行います。

 

【重要】コンプライアンス事案に関する共有

先般、社内において就業規則に違反する事案(※例えば、情報の不正持ち出し等)が確認されました。 会社としては本件を非常に重く受け止め、当該事案に関与した社員に対しては、退職勧奨を含む厳正な措置を講じました。

当社は、健全な職場環境を維持するため、こうした行為を一切容認いたしません。社員の皆様におかれましては、本件を他山の石とし、改めてルールの遵守をお願いいたします。

 

このように、「一身上の都合」という言葉を使わず、「会社として厳正に対処した結果、退職に至った」というニュアンスを含めることで、事実上のペナルティであることを社内に示唆します。 勘の良い社員は「ああ、あの人のことだな」と察するでしょうが、会社として特定の個人名を挙げて攻撃しているわけではありません。これが、法的リスクを抑えつつ、組織への牽制効果を最大化する「大人の知恵」と言えるのではないでしょうか。

 

 

第5章 健全な組織であるための「強さ」を持つ

 

組織には本当に色々な人がいます。 性善説だけで全てが上手くいけば良いのですが、会社というのはそこまで単純なものではありませんよね。 多様な価値観が集まる場所だからこそ、会社として「ここからは一歩も譲れない(レッドライン)」という基準を、常に示し続ける必要があるのだと思います。

 

「これをやったら、この会社にはいられない」

 

この厳しい事実を隠さずに伝えることは、決して冷酷なことではありません。むしろ、ルールを守って真面目に働いている大多数の社員を守るための、「人事としての正義」と言えるのではないでしょうか。

「何か言われるのが怖いから公表しない」という守りの姿勢ではなく、 「同じ過ちを二度と起こさせない」という未来に向けた目的のために、勇気を持って事実と向き合う。

そこに、その会社の本当の意味での「強さ」や「品格」が表れるような気がしています。 この記事が、難しい判断を迫られている人事担当者の皆さんにとって、少しでも背中を押すきっかけになれば幸いです。