企業の成長を支える上で欠かせないのが、従業員一人ひとりのパフォーマンスを適切に評価することです。しかし、そもそも「優秀さ」とは何なのか、その定義を明確にすることは非常に難しい問題ではないでしょうか。
このブログを見ていただいている方は、人事の方が多いので、評価制度や、そもそもその会社における正しさのようなものを作っている役割を担っている方が多いかと思います。その時にこの会社における正しさ、何を評価するのかという点で「優秀」というものを考える機会は非常に多いでしょう。参考になれば幸いです。また、人事以外の方、ビジネスマン、サラリーマン、学生、すべての人にとって、この優秀さというお話は有意義になるのではないかと思っています。
今回は、私が考える「優秀さ」の定義について、2つの大きな論点に絞ってお話ししたいと思います。
1. 優秀さの定義は時代と共に変化し続ける
世の中の価値観や社会の仕組みは、常に変化しています。それは「優秀さ」の定義においても例外ではありません。かつては優秀だとされていたことが、今ではそうではない、ということが起こり得るのです。
その分かりやすい例がAIの進化です。これまで人間が担ってきた定型的な作業や、特定の知識を正確に再現する能力は、AIの登場によってその価値が大きく変わりつつあります。AIができてなくなる仕事が増えると言われていますが、私は本当にそうなってしまうと思っています。昔はそれができることが一つの優秀さだったかもしれませんが、AIの参入によって、この優秀さそのものがなくなってしまうということが起こりえます。
この変化は、山口周氏が著書『ニュータイプの時代』で提唱している「オールドタイプ」と「ニュータイプ」の比較でも明確に示されています。
【かつての優秀さ(オールドタイプ)】
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正解を出すこと
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予測すること
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KPIで管理すること
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生産性や効率を上げること
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ルールに従うこと
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一つの組織に長くいること
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綿密な計画に基づき実行すること
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勝って独占すること
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経験に耐えること
昭和の時代をイメージしていただけると良いでしょう。当時は従順さ、協調性、論理性、勤勉さ、責任感が求められ、それが美徳とされてきました。
【これからの優秀さ(ニュータイプ)】
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正解を探すこと
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構想すること
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意味を考える、与えること
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遊びを盛り込むこと
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自らの道徳観に従うこと
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組織間を点々とすること
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とりあえず試すこと
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与え、シェアし、共有すること
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学習能力に頼ること
現代において求められるのは、このような思考や行動様式です。自由で直感的、わがままで好奇心旺盛な姿勢が、新しい価値を生み出す源泉として評価され始めています。
結局のところ、優秀さとは「その時代に世の中で望ましいとされる思考や行動様式」だと言えます。社会構造やテクノロジーの変化によって、この「望ましい」の基準は常に移り変わっているのです。
2. 優秀さは非常に測りがたい
次に、そもそも優秀さという概念は、一元的に定義し、測定することが非常に難しいという点についてお話しします。
皆さんに問いかけます。優秀さと言われたときに、大きく2つの考え方があるかと思います。一つは「能力」、もう一つは「成果」です。
1. 能力
「できないことができるようになること」を指します。皆さんもイメージしやすいでしょう。「論理的思考力」「コミュニケーション能力」「調整力」「技術力」など、「〜力」という言葉で表現されることが多いですね。
2. 成果
能力を駆使して生み出された「結果」を指します。例えば、「売上を上げる」「利益を増やす」「効率を上げる」といった、具体的な数値や事実として表れるものです。多くの企業が評価制度にこの「成果」を組み込んでいることからも、その重要性がわかります。
私たちは、この「能力」と「成果」のどちらか、あるいは両方を基準に「あの人は優秀だ」と判断しているのです。しかし、この2つは似ているようで、その評価の難易度には大きな違いがあります。
成果は測りやすいが、能力は測りにくい
結論から言うと、成果は比較的測りやすいのに対し、能力は非常に測りにくいと言えます。なぜでしょうか?
成果は、売上金額や契約数、達成率など、多くの場合において数値や事実として客観的に示すことができます。
例えば、スポーツの世界で考えてみましょう。野球のバッターであれば、打率やホームラン数といった「成果」は、誰が見ても明確な数値として記録されます。
一方で、能力はどうでしょうか。
「論理的思考力」や「コミュニケーション能力」という言葉は、私たちにとって馴染みのあるものです。なんとなく論理的に話す人がいる、みんなと仲良く話が上手な人がいる、という違いは理解できます。しかし、「あなたの論理的思考力は何点ですか?」「コミュニケーション能力は何点ですか?」と問われたとき、明確な点数で答えることは非常に難しいのではないでしょうか。
野球の例に戻ると、バッターの「スイングスピード」は機械で測定できるため、能力でありながら数値化しやすい珍しい例かもしれません。しかし、ストライクとボールを見分ける「選球眼」はどうでしょう。統計的には後からデータを分析し、振った割合や見逃した割合で良し悪しを判断できるかもしれませんが、日々のマネジメントの中で「あの人の選球眼は90点だ」と評価するのは現実的ではありません。
陸上競技も同様です。100m走のタイムは成果として明確ですが、「走力」という能力は、歩幅やピッチ数、筋力など、複数の要素が複雑に絡み合っており、一言で「何点」と評価することは難しいのです。
ビジネスにおける多くの能力は、このように非常に曖昧で、主観的な評価にならざるを得ないのが現状です。多くの会社では、この曖昧な能力を無理やり言語化し、共通言語化し、評価測定しようとしていますが、そもそも能力というものは非常に測りがたいということを理解しておく必要があるでしょう。
会社やビジネスにおいては、「成果を出す確率が高い人」を優秀と定義し、それを測定できるような形にして評価に組み込み、育成しようとしています。世の中に「論理的思考力」「巻き込み力」といった様々な能力が出てくるのは、これを無理やり言語化して、社内に共通言語化して浸透させることによって、なんとかこれを評価測定できるようにしようとしているからです。
「能力主義」の限界と、新たな評価の軸
このような「能力」の測定の難しさ、そして「時代と共に求められる能力が変化する」という事実は、これまでの「能力主義」が限界を迎えつつあることを示しているのではないでしょうか。
そこで、これからの時代に求められる評価の軸として、私は2つのアプローチがあると考えています。
- 成果主義への回帰
能力ではなく、あくまでも結果である成果を評価の基準とすることです。 - 「能力」のさらに奥にある「姿勢」を評価する
成果のためには能力が必要であり、その能力のためには「姿勢」が必要である、という考え方です。
例えば、野球の大谷翔平選手は、その素晴らしい成果と能力の裏に、徹底した「姿勢」があります。トレーニングを継続的に計画して行うこと、食事やサプリメントを研究して取り入れること、そして様々な人の話を聞き、トライアンドエラーを重ねること。こうした姿勢や心構えがあるからこそ、能力が身につき、成果がついてくるのです。
この「姿勢」という概念は、抽象的でありながら、ある程度ブレイクダウンして捉えることが可能です。現在、この分野の研究は進んでおり、いくつかの要素に分解できると言われています。
【成果を生み出す「姿勢」の6つの要素】
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セルフモニタリング
自分の強みや弱み、感情や思考の癖を客観的に把握する力です。自分自身を「もう一人の自分」として観察し、今どのような状態にあるかを正確に認識することで、適切な行動を選択できるようになります。これは自己理解を深めるための土台となる重要な要素です。 -
セルフコントロール
自分の感情や行動を意図的に制御し、目標達成に向けて適切な状態に保つ力です。誘惑に打ち勝ったり、困難な状況でも集中力を維持したりすることを含みます。自分の内面的な状態をマネジメントする能力とも言えるでしょう。 -
ヘルプシーキング
困難に直面したときに、一人で抱え込まずに他者へ助けを求める力です。これは単に「頼る」ということではなく、自分の知識や能力の限界を認識し、より良い解決策を得るために周囲の力を借りる賢さを示します。 -
レジリエンス
逆境やストレスに直面した際に、しなやかに適応し、回復する力です。失敗や挫折から立ち直り、前向きな姿勢を保つ精神的な強さを指します。感情の波を一定に保つことで、長期的なパフォーマンスを維持することができます。 -
クリティカルシンキング
既成概念や表面的な情報に惑わされず、物事の本質や真理を深く考える力です。ゼロベースで思考を組み立て、本当に正しいのか、別の可能性はないのかを多角的に検討することで、より本質的な解決策にたどり着くことができます。 -
トライアンドエラー
完璧を求めすぎず、まず行動を起こし、その結果から学びを得て次へと活かす力です。失敗を恐れずに挑戦し、その経験を糧にして成長を続ける姿勢を指します。仕事が遅い人は着手が遅い傾向にありますが、まず試してみることが重要です。
優秀な人は、この6つの要素を高いレベルで備えていることが多いです。その結果、自ずと能力が開発され、成果を生み出すことができるのです。
私は、人事として、この「姿勢」を評価の軸として取り入れることを推奨します。なぜなら、「能力」は時代と共に変化し陳腐化していくからです。かつてはエクセルを使いこなせるだけで評価された時代もありましたが、今後はAIを使いこなせないと話にならない時代が来るでしょう。
しかし、どのようなテクノロジーが進化しようとも、人間が持つべき「姿勢」は変わりません。自らを律し、学び続け、挑戦し、本質を追求する。これこそが、未来永劫に通用する「優秀さ」の核であると私は信じています。
成果の背景にある複雑な文脈
しかし、「優秀さの定義は、結局のところ成果である」という考え方もまた、一つの真理です。ビジネスや社会においては、いかに人の役に立つ「成果」を生み出すかが求められます。
この「成果」の裏側には、私たちが想像する以上に複雑な要素が絡み合っています。
例えば、売上目標達成に向けて2人の営業担当者がいるとします。
Aさん: 綿密な計画を立て、論理的にタスクを分解し、進捗を管理しながら着実に進める。この人は「論理的思考力」が高く頭の良い人ですが、時間切れで成果が出ない場合があります。
Bさん: 計画性はなくとも、急に仲間に頼み、お客さんを探すなど、コミュニケーション能力や行動力で成果を上げます。前者のように行動計画に落としているわけでもなく、論理性がなくても「頼むのが得意」だったり「動きが早い」といった強みによって、成果を生み出すことができます。
これは、評価項目として定義されていない強みや行動によって成果が左右されることが往々にして起こりうる、ということを示しています。人事としては、この文脈を読み解く視点を持っていなければなりません。
「成果を上げたからいいか」と安易に判断するのではなく、その成果を上げた様々な行動や強みが、評価制度に沿っていなくても成果を出すことは往々にして起こりうる、ということを理解しておくことが大切です。
世の中の社長やリーダーを見ても、このことは明らかです。彼らは必ずしも、完璧な能力を持つ「何でもできる人」ではありません。事務処理が苦手だったり、話すのが下手な社長もいます。しかし、圧倒的な行動力があったり、人を巻き込むのが得意だったり、なぜか優秀な人が集まってきたりして、成果を上げるのです。
最後に
今日お伝えしたかったことは、優秀さの定義は時代によって変わり、世の中で求められる価値も変わるということです。
そして、その優秀さを考える上で、大きくは「能力」と「成果」で考えますが、能力は非常に曖昧なものです。だからこそ、「姿勢」までブレイクダウンして考える必要性があったり、そもそも能力が100%成果に結びつくわけではないということを理解することが重要です。
成果を導く要素は非常に複雑であり、極論を言えば「運」のような要素も含まれます。私たちはこの複雑な構造を読み解いた上で、人をどう教育し、どう学習させていくべきかを考える必要があります。
「正しさ」を司る人事や、評価制度を作る人事担当者には、この複雑性を理解し、安易なテンプレートに頼らず、様々な文脈に沿って評価制度を作り込むことが求められます。得体の知れない人事コンサルが「このテンプレートに乗っ取ったら評価制度作れます」などと言ったりしますが、そんな簡単なものではありません。 もっともっと複雑なんですよ。経営者としてはシンプルにしたいという思いもあるでしょうが、人間そのものが複雑なので、そんなにシンプルにはなりません。複雑性を残したまま、複雑性を理解したまま、どうその会社や社会における文脈の中で「優秀さ」を定義し、人の優劣をつけていくか、優秀とそうでないということをつけた上で、教育や学習につなげていくものなのです。
次回は、今回少し触れた「世の中の正しさ」が、テクノロジーや社会構造によってどのように変化してきたのか、その歴史を紐解いていきたいと思います。お楽しみに!